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遠く明治のある夏の日、達之助先生が「牛肉、東京さ持って行くにうまい方法はないかな。生だと途中心配だし、タレだの何だのて揃わねし(略)」「ほんだらばこうしやったらいい。帰やる時まで、作らせておくから早めに廻やい(来てください)」と祖父は言って、祖母に早速いいつけました。祖母は正月の塩引きの要領で、肉の切れ十枚ほどを酒粕と味噌に漬け、ガーゼで中仕切りにして、有り合わせの海苔の缶に詰めて持たせてあげました。
(登起波牛肉店 先々代店主 尾崎茂一著/米沢牛肉物語より) |
![]() 氏は米沢牛を自慢しておりましたが、他から集まってくるのは日持ちのいいものばかり。そこで氏は登起波牛肉店に依頼したのです。 登起波牛肉店では、ちょうど屠蓄場での検査(行政)が始まった明治27年を創業年としていますが、以前より牛肉店を営んでいました。当時は米沢東京間蒸気機関車で丸一日以上かかるという時代ですから精肉では到底運べません。 氏から依頼を受けた店主は、魚の粕漬けの要領で造ったものの日持ちがしないということで味噌を入れたそうです。氏はその米沢牛味噌粕漬第一号をみんなに食べさせ喜ばれました。それから米沢で公に広告をして売り始めたのが大正元年でした。 その後、大正14年に皇太子様に献上した事により、広く知られるようになり、宮内庁御用達としてその美味しさは不動のものとなりました。昭和30年には県の観光物産振興のため製法の公開の依頼があり、食肉業界に製法を公開。その感謝状など歴史の証拠などもあります。その後、各店の工夫を加えた味噌粕漬けが作られるようになりました。 |
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